二次関数の最大値・最小値を求めてみよう。
微分を習う前なら、あるいはそのあとでも、王道は平方完成であろう。
具体例があった方が分かりやすい。
問題を用意してみた。
xの関数、y=3x²-x+2 の最大値、最小値を求めよ。
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微分を習う前なら、あるいはそのあとでも、王道は平方完成であろう。
具体例があった方が分かりやすい。
問題を用意してみた。
xの関数、y=3x²-x+2 の最大値、最小値を求めよ。
“二乗のかたちを作る喜びについて” の続きを読む机の上に、一枚の正方形がある。
いや、正確には、これから描こうとしている正方形である。
面積2平方センチメートルの正方形を描きたいと思う。
さて、この正方形の一辺は何センチメートルだろう。
「√2を求めなさい」と書かれると、急に数学らしい顔になる。
けれど、
「面積2の正方形の一辺は何センチメートルですか」
と聞かれると、話は少し違ってくる。
紙の上に描けそうな気がする。
定規で測れそうな気もする。
どこか遠い数学の国の話ではなく、机の上に置ける話になる。
だから、一度描いてみてほしい。
前回の記事の終わりで、私はこんなことを書いた。
「この文章には一つ嘘が混じっている」と。
だが、本当は少し違っていた。嘘は一つではなかったのである。
もっとも、嘘と言ってしまうのは少し気が引ける。正確さを少し後回しにして、まず景色を見てもらいたかっただけなのだ。
今日は、その続きを歩いてみたい。
平方根。
改めて口にしてみると、どこか奇妙な響きを持つ言葉だ。おそらく、初めて教科書でこの文字を見た中学生の多くは、心の中で小さく首を傾げるのではないか。
「なんで、こんな変な名前なのだろう」と。
それも無理のないことだと思う。
算数から数学へと至る道すがら、彼らは多くの言葉に出会ってきた。足し算、引き算、分数、あるいは比例。それらはどれも、名前を聞けばなんとなく意味の想像がつくものだった。 しかし、平方根はどうだ。
文字をそのまま受け止めれば、「四角い、根っこ」ということになってしまう。数字の話をしているはずなのに、なぜか植物の生々しい器官が頭をよぎる。これでは意味が分からないのも当然だ。
だが、ここで少し立ち止まってみたい。
“平方根という、不思議な名前について” の続きを読む第1章 円卓は回っても、人間関係は回らない
円卓は回る。しかし、何が回っているのだろう。
高校生四人が放課後、ファミリーレストランに入った。
案内されたのは丸いテーブルだった。
席に着くなり、A君が言う。
「この席、いいな」
理由を聞くと、左になんとなく思いを寄せる女の子がいて、右にも気心の知れた友人がいるからだという。
そのとき店員さんがやって来て、テーブルを少し回したとする。
すると、見えている景色は変わる。窓の位置も変わるし、店内の見え方も変わる。
けれどA君は困らない。
左には相変わらず「あの人」がいて、右にも同じ友人がいる。
その関係は何も変わっていないからだ。
数学の問題を解くとき、私たちはしばしば「計算」よりも大切な「視点」に出会うことがあります。
まずは、次の問題を一緒に考えてみましょう。高校数学の教科書でもおなじみの、シンプルですが奥の深い問いです。
【問題】立方体の6つの面に、それぞれ異なる6色を塗る方法は何通りあるか?
(ただし、回転させて同じになるものは1通りとみなす)
この問題、あなたならどう解きますか? 多くの初学者が頭を悩ませるこの「立方体の塗り分け」について、今回はある美しい解法で紐解いてみましょう。
“宇宙に浮かぶ立方体を「止める」方法” の続きを読むスマホの画面が、夕暮れのキッチンでぽっと光る。
「念願の100点が取れたようです!!」
S君のお母さんからの弾んだ文字が、ラインメッセージのなかに躍っていました。
人間、あまりにも偉大なものに出会うと、逆にどうでもいいはずの「細部」に心を奪われてしまうことがある。
去年の秋、私は神戸でゴッホの『夜のカフェテラス』の本物を見た。 教科書で何度も見た、黄色と青の鮮烈なコントラスト。けれど、私の目を一番に釘付けにしたのは、絵そのものの美しさ……ではなく、それを囲む「額縁」だった。
「……なんか、ちゃちくない?」
“正直な額縁と、乾かない情熱” の続きを読むあなたは机に向かい、三つの消しゴムを並べ替えている。
A、B、C。
その並びを一つひとつ書き出し、その並べ方の数を数えていく作業を、誰かが「パワープレイ」と呼んで笑うかもしれない。だが、僕は思うのだ。その指先に残る微かな抵抗感こそが、数学という広大な海を渡るための、唯一の確かな羅針盤になるのだと。
「全部書き出せば、本当は数えられる」
これが、これからあなたが立ち向かう「順列」という世界の、間違いない土台だ。
三つなら、六通り。紙の端に書き記すことができる。
四つなら、少し息が切れる。
五つなら、視界が怪しくなる。
そして、それが三百個になったときには、僕たちの肉体は限界を迎えているだろう。
数学とは、その「気が遠くなるような絶望」を、知性の刃で切り裂く技術のことだ。
最初に置くものを決め、次に残ったものから選ぶ。その「段階分け」という手続きを踏んだ瞬間、混沌とした全列挙は、一本の数式へと圧縮される。
「3×2×1」
それは単なる計算式ではない。六つの場面を、漏れなく、重複なく、一瞬で駆け抜けた証なのだ。