今日は、言葉について書こうと思う。
数学の話ではある。
だが、本当に書きたいのは数学ではないのかもしれない。
数学という営みは、曖昧さを一つずつ削り落としていく仕事である。だからこそ、その入口に置かれる日本語が、意外なほど大きな意味を持つ。
そのことを、私はある日の教室で思った。
「先生、また止まってる。」
机を囲んだ生徒たちが笑う。
開いた教科書には、二次関数の平行移動の例題。
そこには
$$
y=x^2
$$
と
$$
y=(x-1)^2-3
$$
が並んでいる。
その下には、
x軸方向に+1、y軸方向に-3だけ平行移動
と書かれていた。
私はその一文を見つめたまま、しばらく動かなかった。
引っかかったのは、数学ではない。
日本語だった。
「『x軸方向に』って、不思議な言い方だと思わないか。」
生徒は首をかしげる。
「教科書にも書いてありますよ。」
「そうなんだ。だから気になる。」
私は教科書の余白に座標軸を描いた。
「『x軸方向』と聞いて、何を思い浮かべる?」
「右と左。」
すぐに答えが返ってくる。
「じゃあ、小学生なら。」
少し黙ったあと、一人が言った。
「……x軸のほう?」
私はうなずいた。
数学では、「x軸方向」は「x軸に平行な方向」という約束で使われる。
だが、日本語だけを読めば、「x軸へ向かう方向」と受け取っても不思議ではない。
教科書は、
x軸方向に+1移動
と、書く。
その意味は、教室にいる私たちには分かる。
けれど、日本語そのものからは出てこない。
「でも、『+』があるから分かるんじゃないですか。」
生徒が言う。
たしかにそうかもしれない。
しかし、「+1」という記号もまた、約束事の上に立っている。
私たちは、その約束をいつの間にか身につけ、暗黙の了解を読み込みながら数学を読んでいる。
そして、私は助詞のことを考えていた。
「『に』と『へ』について。」
「東京に行く。」
「壁に近づく。」
「先生に話す。」
「に」は、対象へ寄っていく響きをもつ。
だから、「x軸方向に」と書かれると、「x軸のほうへ」という意味を感じる人がいても不思議ではない。
一方で、
「北へ向かう。」
「右へ曲がる。」
「未来へ進む。」
「へ」は進む向きを表す。
もし、
x軸正の向きへ1だけ移動
と書かれていたら、私は今日こんな寄り道をしなかったのかもしれない。
もちろん、教科書を書き換えようという話ではない。
慣れてしまえば、誰も困らない。
私自身も、その表現を使うことはある。
それでも、ときどき立ち止まってしまう。
数学は厳密さを求める学問だと言いながら、その説明に使う言葉だけは案外おおらかだったりする。
その少しの緩さが、ときどき子どもを迷わせる。
だから私は、ときどき授業を止めることになる。
問題を解くためには必要のない話もすることになる。
生徒から見れば、寄り道に過ぎないのだろう。
けれど、その寄り道で覚えたことのほうが、長く残ることもある。
窓から風が入る。
教科書のページが一枚だけめくれた。
そこには、いつものように、
x軸方向に+1、y軸方向に-3だけ平行移動
と書かれていた。
私はそのページをそっと押さえた。
数学を難しくしているのは、数式ではなく、
案外、日本語なのかもしれない。

