数学への地図 順列のこと始めに寄せて

あなたは机に向かい、三つの消しゴムを並べ替えている。
 A、B、C。
その並びを一つひとつ書き出し、その並べ方の数を数えていく作業を、誰かが「パワープレイ」と呼んで笑うかもしれない。だが、僕は思うのだ。その指先に残る微かな抵抗感こそが、数学という広大な海を渡るための、唯一の確かな羅針盤になるのだと。
「全部書き出せば、本当は数えられる」
これが、これからあなたが立ち向かう「順列」という世界の、間違いない土台だ。
 三つなら、六通り。紙の端に書き記すことができる。
 四つなら、少し息が切れる。
 五つなら、視界が怪しくなる。
 そして、それが三百個になったときには、僕たちの肉体は限界を迎えているだろう。
数学とは、その「気が遠くなるような絶望」を、知性の刃で切り裂く技術のことだ。
最初に置くものを決め、次に残ったものから選ぶ。その「段階分け」という手続きを踏んだ瞬間、混沌とした全列挙は、一本の数式へと圧縮される。
「3×2×1」
それは単なる計算式ではない。六つの場面を、漏れなく、重複なく、一瞬で駆け抜けた証なのだ。

面白いことに、この世界では「見た目」は意味をなさない。
三つの数字も、三色の旗も、三人の生徒も、あるいは皿に並ぶ三種類の寿司でさえ、構造が同じであれば、すべては等しく「3! (3の階乗)」という一つの星座に収束する。
何を区別し、何を同一視するか。
その静かな観察こそが、公式という名の呪文を、自分の血肉に変えるための儀式となるだろう。
公式とは、どこか遠くの偉い学者が空から降らせてきた完成品ではない。
「これは、いつでも使える考え方だ」
そう確信した誰かが、その思考の軌跡を忘れないように記号として凍結させたものなのだ。
三つから四つへ、
四つからn個へ。
思考が伸びていくときの、あの眩暈にも似た高揚感。それこそが、高校数学という新しい扉を開けるための鍵になる。

また別の、こんな見方もあるだろう。
まず、一つ目を置く。
一つ置かれたものの「前」か「後」に、二つ目を置くことができると見て取れるだろう。
こうして二つ並んだ物に対し、こんどは三つ目を置くことを考える。置き場は何か所あるか?
前、中、後ろ。
そう、その三か所だ。

この後も、新たな置き場所が何か所あるのか、を追いかけていく。

n個のものがあるとき、並べ方の総数をA(n)で示すとする。
A(1)=1。A(2)=2。A(3)=6・・と続いていく。

あたらしい1個を加えるたびに
A(n+1)=(n+1)A(n) となるのが分かるだろうか?そして、その理由も。

置き場所が増殖していくその光景は、やがてあなたが出会う「漸化式」という深い淵への伏線となっている。いまは、まだ正確にわからなくても良い話ではある。へええと、思ってもらえれば、ここでは十分。
だが今、あなたが手の中で転がしている小さな知恵は、実は数学の深淵へと繋がる、長い糸の端なのだ。

高校数学は、たしかに手強いかもしれない。
中学までの、ただ解法をなぞるだけの日々とは、風の色が変わるだろう。
だが、恐れることはない。
もし迷ったら、またあの泥臭い「書き出し」に戻ればいい。
自分の手で一歩ずつ歩いた距離だけが、最後には裏切ることのない血肉となるのだから。
だから、ペンを執ることを、それのみを勧める。
そして、この「圧縮の技術」を手に入れたとき、あなたの目の前にある世界は、昨日よりも少しだけ、明晰な姿を現すはずだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Top