「いま、確率の問題を解いているんですけど」
そう言って、彼女はノートをこちらへ向けた。
そこには、こんな問題が書かれていた。
20本のくじがあり、そのうち5本が当たりである。
a、bがこの順に1本ずつくじを引く。
ただし、引いたくじは戻さない。
問1 aが当たりを引く確率を求めよ。
問2 bが当たりを引く確率を求めよ。
問3 aもbも当たりを引く確率を求めよ。
「まず、問1からいこうか」
私が言うと、彼女はすぐに書いた。
$$
\frac14
$$
「さて、どう考えた?」
「20本のうち、5本が当たりなので」
「そうだね。それでいい。ただ、最初はこう書いておく方がいい」
私はノートの余白を指した。
$$
\frac{5}{20}=\frac14
$$
「いきなり \(\frac14\) と書いても間違いではない。でも、\(\frac{5}{20}\) と書けば、分母と分子が何を表しているかが見える」
彼女は、少しうなずいて書き足した。
$$
問1\quad \frac{5}{20}=\frac14
$$
「じゃあ、問2。bが当たりを引く確率」
彼女は少し考えたあと、こう書いた。
$$
\frac{4}{19}
$$
「これは、どういう状況?」
「aが当たりを引いたときです。残りは19本で、当たりは4本になるので」
「そうだね」
私はそこで黙った。
彼女はノートを見ていた。
やがて、もう一つの分数を書いた。
$$
\frac{5}{19}
$$
「これは?」
「aが外れを引いたときです。残りは19本だけど、当たりはまだ5本残っているので」
「うん」
ノートの上に、二つの分数が並んだ。
$$
\frac{4}{19},\qquad \frac{5}{19}
$$
彼女の手が止まった。
「どちらかが正しくて、どちらかが間違っていると思う?」
「それは思わないです」
「どうして?」
「どっちもありえるので」
そう。
どちらもありえる。
だから、ここで少し困る。
「じゃあ、平均をとる?」
私はわざと聞いてみた。
彼女は、二つの分数を見比べた。
$$
\frac{4}{19},\qquad \frac{5}{19}
$$
「いや、それも違う気がします」
「どうして?」
「同じくらい起こるわけじゃないから」
私は、その言葉を待っていた。
「そう。そこが大事だね」
aが当たりを引いたあとの箱。
aが外れを引いたあとの箱。
どちらの箱もありえる。
だが、その二つの箱は、同じ確率で現れるわけではない。
「どっちの状況の方が起こりやすい?」
彼女は、少し考えた。
「\(\frac{5}{19}\) になる方です。aが外れを引いたときだから」
「うん。外れの方が多いからね」
私は、問1の式を指した。
$$
\frac{5}{20}=\frac14
$$
「aが当たりを引く確率は?」
「\(\frac14\) です」
「では、aが外れを引く確率は?」
「\(\frac34\) です」
私は、ノートに二本の道を書いた。
$$
aが当たり \rightarrow bが当たり
$$
$$
aが外れ \rightarrow bが当たり
$$
「bが当たりを引くには、この二通りがある」
「はい」
「aが当たりを引いたあとで、bも当たりを引く。この確率は?」
彼女は書いた。
$$
\frac14\times\frac{4}{19}
$$
「もう一つ。aが外れを引いたあとで、bが当たりを引く。この確率は?」
$$
\frac34\times\frac{5}{19}
$$
「bが当たりを引くのは、この二つの道のどちらかだね」
「はい」
「aが当たりだった場合と、aが外れだった場合。この二つは同時には起こらないし、これ以外の場合もない。だから足す」
彼女は、慎重に式を書いた。
$$
\frac14\times\frac4{19}
+
\frac34\times\frac5{19}
$$
「計算してみようか」
彼女は分母を \(4\times19\) にそろえた。
$$
\frac{4}{4\times19}
+
\frac{15}{4\times19}
$$
$$
=\frac{19}{4\times19}
$$
$$
=\frac14
$$
彼女は、少し不思議そうな顔をした。
「bも \(\frac14\) なんですね」
「そう。一人だけを見るなら、aもbも、当たりを引く確率は同じになる」
「でも、bが引くときは、残り19本ですよね」
「そこが面白いところだね」
bが引くとき、くじは必ず19本になっている。
けれど、その中に当たりが何本あるかは、aの結果によって変わる。
aが当たりを引いていれば、当たりは4本。
aが外れを引いていれば、当たりは5本。
だから、
$$
\frac{4}{19}
$$
も正しい。
$$
\frac{5}{19}
$$
も正しい。
ただし、それぞれは条件つきの確率である。
aが当たりだったなら。
aが外れだったなら。
その条件の下で見た、bの確率である。
「問2では、aが当たりだったとも、外れだったとも言っていない」
「はい」
「だから、その二つの状況を、起こりやすさに応じて混ぜ直す必要がある」
私は、さっきの式をもう一度指した。
$$
\frac14\times\frac4{19}
+
\frac34\times\frac5{19}
$$
「これは、ただの計算ではないんだ。二つの状況を、それぞれの起こりやすさに応じて混ぜている」
彼女は、その式を見つめていた。
「平均ではないんですね」
「うん。単なる平均ではない。重みをつけた平均に近い」
「重み?」
「aが当たりになる状況は \(\frac14\) の重みを持っている。aが外れになる状況は \(\frac34\) の重みを持っている」
私は、二つの分数の横に書いた。
$$
\frac4{19}\quad \leftarrow \quad \frac14 の確率で現れる
$$
$$
\frac5{19}\quad \leftarrow \quad \frac34 の確率で現れる
$$
「この二つを、その重みに応じて足している」
「だから、\(\frac14\) に戻るんですね」
「そう」
私は少し間を置いた。
「では、問3。aもbも当たりを引く確率」
今度は、彼女はあまり迷わなかった。
$$
\frac14\times\frac4{19}
$$
「これは、どういう意味?」
「aが当たりを引いて、そのあとでbも当たりを引く確率です」
「うん。計算すると?」
$$
\frac1{19}
$$
「よし」
ノートの上に、三つの答えが並んだ。
$$
問1\quad \frac14
$$
$$
問2\quad \frac14
$$
$$
問3\quad \frac1{19}
$$
彼女は、それをじっと見ていた。
「問1と問2は同じ。でも、問3は違う」
「そうだね」
私はうなずいた。
「ここで、よくある間違いが出てくる」
私はノートの端に、あえて間違いを書いた。
$$
\frac14\times\frac14=\frac1{16}
$$
「aが当たりを引く確率は \(\frac14\)。bが当たりを引く確率も \(\frac14\)。だから、二人とも当たりを引く確率は \(\frac1{16}\)。そう考えたくなる」
「でも、違いますね」
「うん。なぜ違う?」
「aが当たりを引いたあとだと、当たりが1本減っているからです。bが当たる確率は、そのとき \(\frac14\) じゃなくて \(\frac4{19}\) です」
「その通り」
私は、間違いの式の下に、正しい式を書いた。
$$
\frac14\times\frac4{19}=\frac1{19}
$$
「同じ \(\frac14\) でも、使っていい場所が違う」
彼女は、小さくうなずいた。
「bの \(\frac14\) は、aの結果を知らないときの確率なんですね」
「そう。b一人だけを見る確率だね」
「でも、aもbも当たり、というときは、もうaが当たりだったことが決まっている」
「だから、そのあとのbは \(\frac4{19}\) になる」
「はい」
確率の問題では、同じ数字が何度も出てくることがある。
けれど、同じ数字だからといって、同じ意味を持つとは限らない。
$$
\frac14
$$
それは、aが最初に引いて当たる確率かもしれない。
あるいは、aの結果を知らないまま、bだけを見たときの確率かもしれない。
見た目は同じでも、立っている場所が違う。
「確率って、何を数えていると思う?」
私は聞いた。
彼女は少し困った顔をした。
「当たりやすさ……ですか?」
「うん。それでもいい。では、その当たりやすさは何で決まる?」
「全部の数と、当たりの数」
「そう。問1なら、それでよかった」
私は、最初の式を指した。
$$
\frac{5}{20}
$$
「20本のくじがある。そのうち5本が当たり。だから \(\frac{5}{20}\)。これは、20通りの可能性のうち、当たりになるものが5通りある、と見ている」
彼女は、うなずいた。
「でも、問2や問3では、aだけを見ているわけではない。aが何を引いて、そのあとでbが何を引くか。二人分の流れを見ている」
私は書いた。
$$
(aの結果,\ bの結果)
$$
「aが1本引く。次にbが1本引く。戻さないから、二人は同じくじを引けない。だから、全部の流れは」
$$
20\times19
$$
「aの選び方が20通り。そのあと、bの選び方が19通り」
「380通りですか」
「そう。ただ、今は \(20\times19\) のままでいい」
私は、積の形を残したままにした。
$$
全部の流れ:20\times19
$$
「確率とは、この全部の流れの中から、条件に合う流れを数えることでもある」
「条件に合う流れ」
「そう。問3なら、aもbも当たり。だから、aが引く当たりは5通り。そのあと、bが引く当たりは4通り」
$$
aもbも当たり:5\times4
$$
「だから」
$$
\frac{5\times4}{20\times19}
=
\frac1{19}
$$
彼女は、少し目を細めた。
「さっきと同じですね」
「同じものを、別の方向から見ている」
さっきは、道をたどった。
aが当たる。
そのあとで、bも当たる。
今は、全体の流れを先に広げた。
その中から、二人とも当たる流れを数えた。
見方は違う。
けれど、見ているものは同じである。
「では、問2をこの数え方で見たらどうなると思う?」
「bが当たりを引く確率ですよね」
「そう」
「bが当たりならいい。aは当たりでも外れでもいい」
「うん」
彼女は少し考えた。
「bが引く当たりは5通り」
「そのとき、aは何通り?」
彼女は一瞬止まった。
「bが引いたくじ以外ならいいから、19通り?」
「そう」
私は書いた。
$$
bが当たり:19\times5
$$
「aが先に引くのに、bから考えていいんですか?」
「いい」
彼女は少し驚いたようだった。
「実際に引く順番は、aが先だよ。でも、数える順番は、数えやすい方からでいい」
私は続けた。
$$
\frac{19\times5}{20\times19}
=
\frac5{20}
=
\frac14
$$
「ほら、問2も \(\frac14\) になる」
彼女は、さっきの式と見比べた。
$$
\frac14\times\frac4{19}
+
\frac34\times\frac5{19}
=
\frac14
$$
$$
\frac{19\times5}{20\times19}
=
\frac14
$$
「ずいぶん違って見えます」
「そうだね。でも、同じことを数えている」
前の式は、aの結果で場合分けしたもの。
後の式は、bが当たりになる流れをまとめて数えたもの。
どちらも正しい。
ただ、見ている角度が違う。
「確率では、何を全体と見るかが大事になる」
私は言った。
「全体?」
「うん。問1なら、全体は20本のくじだった。問2や問3では、全体は \(20\times19\) 通りの流れになる」
彼女は、ノートに小さく書いた。
$$
何を全体と見るか
$$
「そして、その全体の中で、何を条件に合うものとして数えているのかを見る」
私は続けて書いた。
$$
何を数えているのか
$$
$$
どの条件の下で数えているのか
$$
「確率は、ただ分数を作ることではない」
彼女は、ペンを止めた。
「分数を作る前に、何を数えているかを見る」
「そう」
問1。
aが当たりを引く確率。
これは、20本のうち、当たり5本を見ている。
$$
\frac{5}{20}
$$
問2。
bが当たりを引く確率。
これは、bが当たりになる流れを見ている。
$$
\frac{19\times5}{20\times19}
$$
あるいは、aの結果によって二つに分けて見ている。
$$
\frac14\times\frac4{19}
+
\frac34\times\frac5{19}
$$
問3。
aもbも当たりを引く確率。
これは、二人とも当たりになる一本の道を見ている。
$$
\frac14\times\frac4{19}
$$
似たような分数が並んでいる。
けれど、それぞれが見ている景色は違う。
「\(\frac4{19}\) と \(\frac5{19}\) で止まったら、まだ途中なんですね」
彼女が言った。
「そう。そこまでは、bの前にある箱の中を見たところだね」
「箱の中」
「aが当たりを引いたあとの箱。aが外れを引いたあとの箱。その箱の中を見れば、\(\frac4{19}\) と \(\frac5{19}\) が出てくる」
私は、二つの式を指した。
$$
aが当たりの後の箱:\frac4{19}
$$
$$
aが外れの後の箱:\frac5{19}
$$
「でも、問2では、どちらの箱に入るかも考えなければならない」
「その箱が現れる確率ですね」
「そう」
彼女は、自分で書き足した。
$$
\frac4{19}\quad \leftarrow \quad \frac14 の確率で現れる
$$
$$
\frac5{19}\quad \leftarrow \quad \frac34 の確率で現れる
$$
「これをかけて足す」
$$
\frac14\times\frac4{19}
+
\frac34\times\frac5{19}
$$
「樹形図みたいですね」
「そうだね」
私はうなずいた。
「ただ、樹形図をきれいに描くことが目的ではない。枝分かれを見失わないことが目的なんだ」
確率は、未来を数える。
けれど、その未来は一本ではない。
途中で枝分かれする。
枝の先には、それぞれ違う景色がある。
aが当たりを引いたあとの景色。
aが外れを引いたあとの景色。
その先だけを見れば、
$$
\frac4{19}
$$
や
$$
\frac5{19}
$$
が見える。
だが、最初の場所から見るなら、その枝に入る確率も数えなければならない。
太い枝もあれば、細い枝もある。
それを同じ太さの枝として扱うと、答えはずれてしまう。
「確率って、ちょっと国語みたいですね」
彼女が言った。
「どうして?」
「何を聞かれているかを読み違えると、計算は合っていても違う答えになります」
「そうだね」
私は笑った。
数学は、数を扱う。
けれど、数を扱う前に、言葉を読まなければならない。
問1は、一人目を見ている。
問2は、二人目だけを見ている。
問3は、二人ともを見ている。
この違いを見ないまま、ただ \(\frac14\) という数字だけを追いかけると、
$$
\frac14\times\frac14=\frac1{16}
$$
という、もっともらしい誤答が生まれる。
もっともらしい誤答は、悪いものではない。
そこには、何かを見ようとした跡がある。
ただ、少しだけ見る場所がずれている。
aが引いた後の箱を見る。
bが当たりになる道を見る。
二人とも当たる道を見る。
そして、その道が、はじめの場所からどれくらいの太さで伸びているのかを見る。
確率とは、未来の枝を数えることなのかもしれない。
ただし、その枝は、どれも同じ太さではない。
そこまで含めて数えたとき、ようやく確率は、ただの分数ではなくなる。
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