夕暮れが近づくと、教室の隅に長い西日が差し込んできた。
私の主宰する小さな塾に通う中学生の少女が、シャープペンシルを握ったまま、じっと手元を見つめている。
机の上にある、一枚のプリント。
そこには、二つの金魚鉢と、それを一つに合わせた大きな水槽のイラストが描かれていた。



問題文には、
$$\frac{2}{5}+\frac{3}{4}=\frac{2+3}{5+4} = \frac{5}{9} $$
という式が成り立つように見えます。
もちろん、この計算は間違っています。
分数の計算を正しく行うと、
$$
\frac{2}{5} + \frac{3}{4} = \frac{23}{20}
$$
です。
では、金魚鉢Aと金魚鉢Bを合わせて、大きな水槽Cにまとめる前後を示したはずの
$$\frac{2}{5}+\frac{3}{4}=\frac{2+3}{5+4} = \frac{5}{9} $$
には、どこに誤りがあったのでしょうか?
ノートには、彼女の少し丸っこい文字で、次のような計算が記されていた。
$$
\frac{2}{5} + \frac{3}{4} = \frac{8}{20} + \frac{15}{20} = \frac{23}{20}
$$
丁寧な確認の跡だった。彼女は正しい分数の計算ができる。
それなのに、彼女の声には、世界の一角が不意に歪んでしまったかのような、微かな戸惑いが混じっていた。
「でも、黒い金魚の割合を表している分数は、絵にぴったり合っているんです。水槽Cでは、確かに黒い金魚の割合は、\(\frac{5}{9}\) なんです」
あらためて確認してみよう。
金魚鉢Aには5匹の金魚がいて、そのうちの2匹が黒い。
黒い金魚の割合は、\(\frac{2}{5}\) である。
金魚鉢Bには4匹の金魚がいて、そのうちの3匹が黒い。
黒い金魚の割合は、\(\frac{3}{4}\) である。
この二つの金魚鉢の金魚を、大きな水槽Cへ移す。
水槽Cにいる金魚は全部で9匹になり、そのうちの5匹が黒い。
つまり、割合は \(\frac{5}{9}\) になる。
プリントには、それが必然であるかのように、次の式が躍っている、というわけだ。
$$ \frac{2}{5} + \frac{3}{4} = \frac{2+3}{5+4} = \frac{5}{9} $$
もちろん、この計算は間違っている。
分数の足し算として見れば、分母同士、分子同士を足すなどということは許されない。
だが、イラストという現実の「シーン」は、その間違ったはずの数式が完璧に正しいことを証明しているように思える。
彼女が惑わされたのは、無理もないことだった。
私は少し椅子を引き、彼女の視線の先にある歪みについて考えた。
私たちは時に、目の前にある具体的な事実と、頭の中にある抽象的なルールとの間で、身動きが取れなくなる。
「A班の女子は40%、B班の女子は75%。この二つの組を一つにして、女子の割合をパーセントで表すと、115%になるだろうか」
私は少し意地悪な問いを投げてみた。
「そうはなりません」
彼女は即座に首を振った。
「女子の割合が100%を超えるなんてことは、絶対にありません」
「そうだよね。では、そういうとき、全体の女子の割合を出すにはどうすればいいんだろう」
彼女はしばらくの間、考え込んだ。
部屋の中に、静かな時間が流れる。私はその沈黙を破ろうとはしなかった。思考が彼女の中で形を成していくのを、ただ待っていた。
やがて、彼女は顔を上げた。
「A班やB班の人数が必要です。それぞれ何人いるのかという」
「その通りだね。正しい割合を知るには、全体のベースとなる個別の量、つまり母数が必要になる」
あるいは、それぞれの班で、女子の人数か男子の人数かが分かればいい。
今挙げた40%と75%は、黒い金魚の割合である \(\frac{2}{5}\) と \(\frac{3}{4}\) にほかならない。
小数に直せば、0.4 と 0.75 である。
からくりは、至ってシンプルだ。
誤っているのは、次の式の等号の部分にほかならない。
$$ \frac{2}{5} + \frac{3}{4} = \frac{2+3}{5+4} $$
この等号は、数学的には決して結ばれてはならないものだ。
もちろん、等号の左にある \(\frac{2}{5}+\frac{3}{4}\) という式で、割合そのものを足し合わせようとしているのも、40%と75%を足して115%にするという不条理と全く同じことをしようとしている、と指摘できる。
割合を求めた時点で、私たちは元の金魚鉢にいた「全体の数」という重要な情報を一度、捨ててしまっている。
情報を捨ててしまった数値同士をただ足し合わせることは、この文脈では意味を持たない。
一方で、仮に値としての計算を突き詰めるなら、答は \(\frac{23}{20}\)、つまり 1.15 になる。
だが、黒い金魚の割合が 115% になることなど、現実にはあり得ない。
この問題の巧妙なところは、等号の右側に、こっそりと「水槽Cの正しい割合を求める式」を滑り込ませている点にある。
分子同士、分母同士を足すという「間違った分数の計算」の形が、偶然にも「水槽Cの現実の数」を拾い上げる式、すなわち、
$$ \text{全体の黒い金魚の数} = 2 + 3 $$
$$ \text{全体の金魚の数} = 5 + 4 $$
という構造と一致してしまっているのだ。
その偶然が、鮮やかなトリックとなって、見る者の視覚を惑わせる。
イラストの印象を利用しながら、正しくない等号を、あたかも正しいものであるかのように刷り込んでいく。
「割合の計算をしたいのか、値を求める計算をしたいのか、ということですか」
彼女は、少し納得したような、それでいてまだどこかすっきりしない表情で私を見た。
「数学として扱うなら、そういうことになるかもしれない。けど、これはある種のクイズのようなものだ。同時に、絵の影響がどれほど大きいかということでもあるね」
「先生は、よく図を描け、絵を描けって言いますけど、今回は絵に引っ張られ過ぎた気がします」
彼女は小さく苦笑した。
「確かに。だけど、それだけ図にする効果は大きいということでもある。同時に、問われていることの前提となる数学的な知識もまた、同じくらい重要だということだね」
私は窓の外に目をやった。
私たちは、目に見える現実の確かさに、時として足元をすくわれる。
しかし、それを疑い、自分の頭でルールへと還元していくプロセスの中にしか、本当の納得は存在しないのかもしれない。
彼女はシャープペンシルをペンケースに収め、ノートを閉じた。
その横顔に、小さな壁を一つ乗り越えた者の、静かなきらめきが微かに宿ったような気がした。


