『拍手は、まだ途中』

スマホの画面が、夕暮れのキッチンでぽっと光る。
「念願の100点が取れたようです!!」
S君のお母さんからの弾んだ文字が、ラインメッセージのなかに躍っていました。


S君。高校3年生。
私の塾で最初に会ったときは、正直に言って数学の海で溺れかかっているような状態だったように思います。中1のころから通ってもらって少しずつ力をつけてきました。それでもずっと、届きそうで届かなかった満点の二文字。それをこの大切な時期に、彼はついに手に入れたのです。 うれしい報告に私の指先も少し熱くなります。
「満点と99点は違いますからねえ。抜けなしミスなしはなかなかできない。これを続けましょう」
そんなメッセージを返しながら、私の心には、甘やかすだけではない「次の階段」が見えていました。100点を狙って取る。その欲は、今の彼ならもう、持っていいお守りだからです。
すぐにお母さんから、悔しそうな、でも弾むようなお返事が届きました。数Ⅲは94点だった、と。悔しがれるようになったこと自体が、かつて自信をなくしていた彼からは想像もつかない変化でした。

「S君は、よく頑張ります」 私はお母さんに、正直な感想を返します。
もっと努力の量は積める。最上級の頑張り屋、とはまだ言えないかもしれない。けれど、彼は厳しい場面から絶対に逃げない。私が「読め、書け、考えろ、伝えろ」と差し出す高いハードルに、何度もつまずきながら、それでも向かってきます。
今、彼に一番足りないのは、実は数学への理解ではなく、「ことば」の幼さだと思うとも伝えました。「書く」ことは習慣になったけれど、問題の意図を「読む」こと、自分の思考を誰かに「伝える」こと。
数学を通して本当に身につけてほしいのは、受験が終われば忘れてしまう定理ではなく、一生を支える「論理の力」です。それはことばの力と、根っこで深くつながっているのです、と。

「本を読んで、感想ではなく、梗概を書いてみるのはどうでしょう」 そう提案すると、お母さんはさっそく「私も一緒に励んでみます!」と応えてくれました。月に2冊の本を読むというご自身の目標と重ね合わせて、楽しそうに、けれど真剣に、息子の成長の手を握ろうとしている。その姿が、文字の向こうに透けて見えて、胸がじんとします。
志望校の赤本を、この休みに買いに行ってみるともおっしゃいました。計算の手前の「どう考えるか」に向き合うために。

夜、私はSくんに転送してもらうよう一枚の画像を送信しました。 ノートに手書きした、ある証明の進め方について。 「Sくんは、私が厳しい…とは言わないと思います」 そうお母さんには添えました。彼はもう、私の小言を「厳しい」ではなく、背中を押す「あおり」として笑って受け止める強さを持っている。
丸暗記の公式を脱ぎ捨てて、なぜそうなるのかを、自分のことばで論理的に紐解いていく。そのめんどくさくて、いちばん美しい場所に、彼は今、立とうとしています。
100点、本当によかったね。
心の中でそっと拍手を送りながら、私は次の授業のノートを準備します。

100点の
重みをひらく
手の中に
逃げないきみが
つかんだ光

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