前回の記事の終わりで、私はこんなことを書いた。
「この文章には一つ嘘が混じっている」と。
だが、本当は少し違っていた。嘘は一つではなかったのである。
もっとも、嘘と言ってしまうのは少し気が引ける。正確さを少し後回しにして、まず景色を見てもらいたかっただけなのだ。
今日は、その続きを歩いてみたい。
前回、私は9という数を眺めながら、
「これは、どんな数を平方した結果なのだろう」と逆向きにたどる話を書いた。
3を二乗すると9になる。
だから9の平方根として、まず3が見つかる
それは 正方形の面積から考えたから。
面積が9平方センチメートルなら、一辺は3センチメートルになる。 そこに迷う余地はない。 ところが、数学というものは、ときどき現実よりも几帳面である。
生徒の誰かが問うだろう。
「先生、本当に3だけですか。」
(-3)×(-3)=9
その瞬間、景色が少し変わる。
そうだった。
負の数を二回かけても答えは正になる。
二乗して9になる数は、3だけではない。-3もまた、9へたどり着く。
だから9の平方根は3と−3である。
前回、私がわざと黙っていた最初の話、嘘は、ここにある。
しかし、ここから先が面白い。
もし正方形だけを考えていたなら、-3は現れない。長さは負にならないからだ。面積9平方センチメートルの正方形に、一辺-3センチメートルというものは存在しない。
現実の世界では、3だけで十分なのである。
それでも数学者たちは、-3を追放しなかった。 むしろ、3と同じ資格を与えた。
なぜなのだろう。
それは、数学が図形だけを扱う学問ではないからだ。
数そのものを眺め始めると、風景は少し違って見えてくる。
数直線の上に、 −5、−4、−3、−2、−1、0、1、2、3、4、5 と数を並べてみる。
そして、それぞれを二乗する。
25、16、9、4、1、0、1、4、9、16、25。
左右の景色が、鏡に映したように重なっている。
3から出発しても9。
-3から出発しても9。
二乗という操作は、右と左を区別しない。
結果だけを見ても、出発点は一つに決まらないのである。

あるいは、方程式を書いてみる。
x²=9
「二乗して9になる数を求めよ。」
言葉にすれば、それだけの問いである。
けれど数学は、ときどき言葉よりも手を動かしたほうが早い。
x²-9=0
(x+3)(x−3)=0
だから、x=3。あるいは、x=-3。
x=3,-3と書いたり、x=±3と書いたりするだろう。
いずれにせよ、方程式はそのどちらの数も静かに受け入れることを確認して欲しい。
ここで、「平方根」という言葉の意味が少しだけ深く見えてくる。
平方根とは、平方してその数になる数のことである。
9には、そのような数が2つある。
3と、-3。
教科書では「±3」とまとめて書くことも多い。
便利な書き方だから、それで困ることはない。
けれど、ときどき私は、生徒たちに伝えたくなる。
±3という一つの数があるわけではない。
3という数がある。
-3という数がある。
そして、その二つをまとめて表すために、±という記号を使っているだけなのだ、と。
記号は便利である。だが、ときどき便利さは景色を隠してしまう。
数学を学ぶということは、記号を覚えることではない。
その向こう側に広がる風景を見ようとすることなのかもしれない、と思うのだ。
けれど、まだ一つだけ確かめていないことがある。
数直線の上を眺めると、9へ向かう矢印は3と-3しか見当たらない。
だから、それ以外にはないような気がしてしまう。
しかし、「見当たらない」と「存在しない」は同じではない。
私たちは、本当に二つしかないと言い切れるのだろうか。
目で眺めただけで、そう断言してよいのだろうか。
これも嘘とはいわないまでも、本当だとは言い切れないお話なのだ。
そして数学という学問は、そうした曖昧さを驚くほど嫌う。
「たぶんそうだ」では満足しない。
「なぜそう言えるのか」を最後まで問い続ける。
そして、その問いに筋道を立てて答える営みを、「証明」と呼ぶのである。
数字の向こうには、いつももう少しだけ深い森が広がっている。
※方程式を解くことによって、二乗して9になるような数は二つしかないことは示されています。一方で2本の数直線の比較からは、それだけではその二つしかないことを示せていません。数直線を眺めて「左右対称だから二つだけだろう」と感じることと、「二つしか存在しない」と証明することは別なのです。
とはいえ、そういう直感を「仮説」として持つことも、同様に大切です。
※また、方程式の解は、本文に示したように、「,」を用いる場合は通常「または(or)」と解釈します。
つまり、x=3,-3とは、「x=3 または x=-3」という意味です。
まとめて x=±3 と書くこともあります。
一方、「9の平方根を答えよ」と言われたら、「二乗して9になる数をすべて答えよ」という意味なので、答えは 3と−3の両方です。
教科書では「9の平方根は±3」と書かれることもありますが、これは「±3という一つの数」があるという意味ではありません。3と−3という二つの数を、±という記号でまとめて表しているだけです。
このあたりは数学そのものというより、記号の使い方の約束に近い話です。高校生くらいになったら、「なぜそう書くのか」を改めて考えてみると面白いかもしれません。


