君の隣に座ることを望んでいても

第1章 円卓は回っても、人間関係は回らない

円卓は回る。しかし、何が回っているのだろう。

高校生四人が放課後、ファミリーレストランに入った。
案内されたのは丸いテーブルだった。
席に着くなり、A君が言う。

「この席、いいな」

理由を聞くと、左になんとなく思いを寄せる女の子がいて、右にも気心の知れた友人がいるからだという。

そのとき店員さんがやって来て、テーブルを少し回したとする。
すると、見えている景色は変わる。窓の位置も変わるし、店内の見え方も変わる。

けれどA君は困らない。

左には相変わらず「あの人」がいて、右にも同じ友人がいる。
その関係は何も変わっていないからだ。

円順列という数学は、実はこの「何が変わり、何が変わらないか」を扱う単元なのだと思う。

私たちは普段、「見た目の違い」に引きずられやすい。

A・B・C・Dと並んでいるのと、B・C・D・Aと並んでいるのは別物に見える。

しかし円卓の上では、その違いは本質ではない。
テーブルを少し回せば同じ状態になるからだ。

数学を学ぶ者は、そうした表面的な違いを取り除こうとする。
そして最後に残るものだけを見ようとする。

円順列を学び始めたばかりの頃、多くの人は公式として

(n−1)!

を覚える。

もちろん間違いではない。
実際、それが答えになる。

けれど私は、その式だけを見ると少し惜しい気持ちになる。
なぜなら、その背後にある物語が消えてしまうからだ。

本当は最初、

n!

通りの並び方がある。

ところが円卓では、同じ配置を何度も数えてしまう。
n人なら、同じ状態が回転によって n 回現れる。
だから n で割る。

つまり、

n! ÷ n

とみる。

この式には、「何を重複して数えてしまったのか」という理由が残っている。
理解とは、答えそのものばかりではなく、なぜその答えになるのかという景色を見ることなのだと思う。

面白いのは、問題をたくさん解くようになると、今度は別の景色が見えてくることだ。
問題演習の最中、私はあまり

n! ÷ n

とは考えない。ついさっきまで、その考え方を勧めていたにもかかわらず、だが。


頭の中で一人を捕まえる。

「君はそこから動かないで」

そう言ってA君を固定する。

すると円卓は突然おとなしくなる。
回転という厄介な自由が消える。

そうすると、残りの人を自由に並べればよいので、

(n−1)!

が自然に現れる。

円状に並ぶ並び方は網羅できていることは確認して欲しい。
そして先ほどの

n!/n

と、答が一致していることも。

これで、公式の暗記ではなくなったことだと思う。
見方の変化である。

最初は「同じものを何回数えたか」を考えていた。
やがて「どうやって回転を止めるか」を考えるようになる。

どちらも正しい。
ただ、見ている方向が違う。

数学を学んでいると、こういうことがよくある。
答えは変わらない。
けれど景色が変わる。

本当の理解というのは、公式を覚えた瞬間ではなく、その景色の違いに気づいた瞬間に訪れるのかもしれない。

第2章 二人は、ひとりになる

円順列の問題を解いていると、ときどき不思議な指示が現れる。

「AさんとBさんが必ず隣り合うように座るとき」

という条件である。

教室でこの問題を出すと、生徒たちは少し戸惑う。
さっきまで一人ひとりを数えていたのに、急に「隣り合う」という条件が加わるからだ。

AさんはAさん。
BさんはBさん。

本来なら別々の人間である。

こういう場面では、少し大胆になって声をかけてみよう。

AさんとBさんへ。

「二人とも、しばらく一緒にいてください」

すると不思議なことが起きる。

AさんとBさんは、ひとつの塊になる。
もちろん実際には二人である。
けれど問題を解くあいだだけは、一人として扱うのである。

私はこの発想が好きだ。

なぜなら、数学とは数を扱う学問であると同時に、「何を見るか」を決める学問でもあるからだ。

たとえば六人が円卓に座るとする。

そこにAさんとBさんがいる。
普通に見れば六人だ。
しかしAさんとBさんをひとつの塊と考えた瞬間、世界は少し違って見えてくる。「AB」という一つの存在。
そして残り四人。

全部で五つのユニットである。

第1章で見たように、円順列では回転を止めればよい。

だから五つのユニットを円卓に並べる方法は

(5−1)!

通りになる。

だが話はまだ終わらない。
塊の中では、

「AB」

という並び方もあれば、

「BA」

という並び方もある。

外から見ると同じ塊なのに、内側では二つの姿がある。
まるで双子のようだ。
だから最後に2倍する。

こうして答えが得られる。

計算としては、それだけのことである。
けれど私は、この解法を初めて知ったとき、少し面白い気持ちになった。

人数を減らしたわけではない。
AさんもBさんも消していない。

ただ見方を変えただけなのである。

別々だった二人を、一時的にひとつとして見る。
そうすることで複雑だった問題が急に整理される。

現実の人間関係でも、似たことがあるかもしれない。

親子として見る。
夫婦として見る。
チームとして見る。
会社として見る。

ひとりひとりを眺めていると見えなかったものが、まとまりとして見た瞬間に見えてくることがある。

もちろん現実は数学ほど単純ではない。
人は塊になどならない。

それぞれが別々の人生を持っている。
けれど物事を理解しようとするとき、ときには細部から離れて眺めることも必要なのだろう。

円順列の問題は、ただ座り方を数えているだけではない。

何を一つと見なし、何を別々と見るか。
その視点の選び方を教えてくれているように思う。

第1章では、回転しても変わらないものを探した。
第2章では、別々だった二人を一つとして眺めてみた。

円順列を学んでいるだけのはずなのに、いつの間にか「どう見るか」を考えている。

誰が誰の隣にいるのかを数えていたはずなのに、いつの間にか世界の眺め方の話になっている。

数学とは、そういうところのある学問なのだろうと思う。

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