【あるいは、雨の日の匂いについて】

昨日からの雨は、夜になっても止む気配を見せなかった。
東京から届いた文字を私は出石の静かな部屋で眺めている。
画面の向こうで彼女は、東京も昨日今日と結構な雨が降った、と告げていた。
急な冷え込みで体調を崩す人が増えるかもしれない、というささやかな懸念とともに。
雨は私も嫌じゃないよ、と彼女は書いていた。
風が伴わなければね、とも。

雨の日の思い

私は窓の外の闇に目を凝らしながら、その言葉の響きを確かめてみる。
雨の日の匂い。
それは世界がいつもより少しだけ親密になる予兆のようなものかもしれない。
ふと、今週、私の主宰する数学の私塾で二人の教え子が続けて休んだことを思い出す。
彼らもまたこの季節の変わり目の、不意に訪れた冷気に身体をすくめてしまったのだろう。
数式を解く子供たちの声が消えた部屋は、いつもより少しだけ広くそして静かだった。

今日はずいぶん涼しかった。

私はそう返信を打ち、かつて暮らした信州の風景に記憶の針を巻き戻してみる。
その当時、私にとって雨の日のドライブは、退屈な移動ではなくひとつの特権的な「時間」だった。
雨になると、信州の白樺の林道は深い霧に包まれる。
フロントガラスを叩く雨と規則的なワイパーの音を聴きながら、車は白く煙る木々のあいだを静かに進んでいく。
ヘッドライトが照らし出す霧の粒子はまるで生き物のように蠢き、車の行く手を阻むと同時に世界の他のすべてから私を切り離してくれるように思えた。

晴れた日の圧倒的な輝きも悪くない。
しかし、雨の日にしか見せない自然の「横顔」というものがある。
それは住んでいる者、あるいはその土地に深く身を沈めている者だけが、偶然に受け取ることのできるささやかな報酬のようなものだった。

画面が静かに明滅し、彼女からの言葉が再び届く。
体調気をつけてね、と。またすぐに暑くなるみたいだから、と。

そして、彼女はこう付け加えた。
信州の自然は優しくても厳しくても絵になる。
けれど、今あなたがいる出石も十分に綺麗だよ、と。

出石。
私と彼女にとっての故郷である。
この古い城下町もまた、雨に濡れることで昼間とは違う表情を見せ始めている。
瓦屋根が黒く光り水路を流れる水の音がいつもより少しだけ高く響く。

雨上がりの瓦屋根と辰鼓楼

私たちはどこにいても、何かを失いながら同時に新しい何かを受け取っているのかもしれない。
信州の白樺の霧を懐かしむことは過去を惜しむことではなく、いまここにいる自分を確かめるためのひとつの儀式のようなものなのだ。

窓を少しだけ開けると、冷ややかな風とともに濃い雨の匂いが室内に流れ込んできた。
それはどこか遠い旅の途上で嗅いだことのあるような、あるいは、これから向かうべき場所から漂ってくるような不思議に懐かしい匂いだった。

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